緯度経度の(*)印は対象場所(エリア)の中央付近の座標です。無印は周辺再近場所での測位座標です。
35)乳岡古墳 《ちのおかこふん》 所在地:堺区石津町2丁620-1、620-2外
北緯:34°33′09″ 東経:135°28′06″(*)
全体位置図


付近詳細図




乳岡古墳より出土した車輪石。
でできた車輪の形をした腕輪で、表面には放射状の文様が見られます。実用品とは考えられず、権威の象徴として使用されたと考えられています。
提供:堺市博物館

COFFEE&TEA
TIME!
乳岡古墳前方部分の前にあるCAFE・FRAGRANCE
(カフェ・フレグランス)は、元カメラ店を改装し、木の柱と白い漆喰の壁がしっとりと調和した趣のあるカフェです。散策時の休憩や食事に寄ってみてはいかがでしょう…。
乳岡古墳は、百舌鳥古墳群の中で、最も南西部の石津町(泉北1号線の南側)にあり、出土品から、4世紀末頃の築造と考えられ、百舌鳥古墳群で最初に作られた大型の前方後円墳とされています。

前方部を南西に向け築造されていますが、現在では前方部の大半が削り取られ住宅地となっています。後円部はほぼ完全に近い形で残っており、本来の墳丘の規模は全長約155m、後円部直径約94m、高さ約14mと想定され、3段築成で百舌鳥古墳群では6番目の大きさです。

濠はすでに埋められ現在では見ることはできませんが、昭和60年(1972年)に行われた発掘調査で、葺石と埴輪があり、後円部西側では幅約30mという大規模な濠が存在したことが確認されました。

昭和47年(1972年)、主体部の確認調査が実施され、後円部中央で粘土で覆われた和泉砂岩製の長持形石棺が発見され、周辺の粘土層から3個の鍬形石(くわがたいし)や18個の車輪石(しゃりんせき)などの碧玉製石製品も出土しています。
その後、調査跡は保存のためコンクリートで覆われています。

昭和47年以前には、後円部頂上部に寺が建立されており、前方部の一部が参道となっていました。その名残の石製の階段跡や寺院の屋根瓦の破片等が見られます。
その頂上部からは今でも市内が見渡せる事から、建造当時は海上からもはっきりと視認できたものと考えられます。

昭和49年(0974年)1月23日 国の史跡に指定されました。


3段で築成された後円墳部分が確認できる 別の方向から頂上部を望む。
寺が建立されていたため平たく地ならしされた跡が…。
後円部頂上付近から僅かに残された前方部を見る。
向かって右側の前方部は既に住宅地になっている。
ここが建立されていた寺の参道となっていた。
コンクリートで固められた後円部頂上の状態。
ここから石棺が発見された。
以前建立されていた寺の柱石なのか礎石か? 寺の屋根瓦の破片?
  
 参道の名残りの石製階段  和泉砂岩の石碑(左側)   真新しい乳岡古墳の石碑 
後円部から海側を眺望する。
後円部墳頂調査時の様子。
(堺市博物館展示資料より)
出土した長持型石棺の一部。
(堺市博物館展示資料より)