| 緯度経度の(*)印は対象場所(エリア)の中央付近の座標です。無印は周辺再近場所での測位座標です。 |
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いたすけ古墳の後円部から北東へ約500m、情緒ある細い石畳の道を登ったところにあるのが、御廟山古墳です。前方部を西に向けた前方後円墳で、墳丘規模は全長約186m、後円部直径約95m、高さ約17m、前方部幅約119m、高さ約17m。 百舌鳥古墳群では4番目に大きな規模です。 墳丘は3段。南側のくびれ部に造出しがあります。 樹齢7〜800年はあろうかと思われる楠やクロガネモチ等の広葉樹が全体に茂り、うっそうたる原生林のようになっているので、遠くからでも見つけやすく、東側の百舌鳥八幡宮の奥の院として、更に「応神天皇」の御廟との伝承があったため、古くから聖域とされ、付近の人々も余り立ち入ることが無かったため、大木が茂っています。 葺石と埴輪がありますが、主体部の構造や副葬品などの詳細は判明していません。 後円部裾の濠水脇に江戸時代の物と思われる石灯籠が立っており、かつて、墳丘への入口だった痕跡をとどめています。 最近の調査で、二重濠の存在が明らかになりました。 東側にあったとされるカトンボ山古墳や万代山古墳(もずやまこふん)など、陪塚としての古墳が数基あったようですが、現在残っているのは万代山古墳だけとなっています。 カトンボ山古墳は土砂採取による破壊に始まった昭和24年(1949年)に発掘調査が行われ、かなりの副葬品が出土しています。 御廟山古墳は、5世紀中頃から後半にかけての築造と考えられ、墳丘部分は陵墓参考地として宮内庁が、外濠は堺市が管理しています。 今では百舌鳥野一帯も住宅が密集し市街化していますが、かろうじて御廟山の存在が古代の原野を彷彿とさせてくれます。
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