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誰もがそのような景色を想像することだろう。 しかし、それは現在の人の眼から見た古墳の姿である。 本来、古墳には樹木は植えられていなかったと考えられている。段築(階段状に整地)された表面には、埴輪が並べられ、河原石が敷き詰められていた。エジプトのピラミッドの如く、白く光り輝いていたと考えられる。 現在、古墳を取り巻く周囲はビルや屋根瓦など、比較的グレー色が濃い。その中にこんもりとした森は、一際目立つ存在である。 しかし、古代の周辺環境は多分今とは逆に、原野や森が地上を支配していただろう。 そんな荒涼とした原野の彼方に、対照的に光り輝く巨大古墳。 それは見る者に、はっきりとした存在感を誇示した見事な造形、壮麗なる景観であったに違いない。 「古墳群探索」はどこからスタートしても自由であるが、今回は、最も広大で有名な「仁徳陵古墳(大仙古墳)」界隈からスタートすることとしよう…。(監修:中井正弘) |
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※堺市内にはよく似た駅名で「中百舌鳥(なかもず)」地下鉄御堂筋線・南海高野線や「百舌鳥八万(もずはちまん)」南海高野線があるので、間違えないように注意! 道路沿い右手前方にこんもりと樹木が茂った大きな森が見える。これが「仁徳天皇陵」や「仁徳古墳」はたまた、「大仙古墳」と呼ばれている、日本最大規模の古墳「仁徳陵」(にんとくりょう)である。 いつの頃からか、色々な呼び名が誕生したが、地元では昔から「仁徳さん」や「仁徳陵」で親しまれている。 細かいことはさておき、堀を見ながら道路沿いに歩いていこう。 道路を挟んだ左手(南側)に緑豊な公園が現れる。これが大仙公園で、この公園内にも規模はそれほど大きくないが多くの古墳が存在する。また、百舌鳥古墳群の貴重な資料を展示する「堺市博物館」もこの大仙公園内にある。 博物館の見学は後の楽しみとし、大仙公園の入口と道路を挟み、右手に三角屋根のレストランが見える。その西隣に「大仙公園観光案内所」があるので、迷わずここで「レンタサイクル」で自転車を借りよう。百舌鳥古墳群は、四方4kmの広大な大地に分布しているので、余程の健脚の持ち主でないと結構辛い。1日借りて300円は、散策には頼もしい見方となる。但し、1日ではとても全てを回りきれるものでもない。2、3日の余裕を持って、じっくりと散策される事をお勧めしたい。
身分証明書を提示しレンタサイクルを借り、少し行くと「拝所」がある。玉石が敷かれ、いかにも厳か!という雰囲気だが、残念ながら一般人が立ち入りできるのはここの入口まで。「仁徳陵」は宮内庁の管理の元、一般に公開はされていない。例え学者と言えども立ち入ることはできない。誠に残念だが、そういう決まりだから仕方がない。とにかくここを今回の散策のスタート地点としよう。 * * * * * 「仁徳陵」の周囲は遊歩道の整備がされていて、快適な散策ができるように配慮されている。今回はスタート地点からまず左回りで仁徳陵から「反正陵」を巡り、再び仁徳陵に戻る北部一周ルートを歩いてみよう。
実は「拝所」の向かい側にも古墳がある。「孫太夫山古墳」(まごだゆうやまこふん)という。小規模な前方後円墳で、幅数メートルの浅い堀に囲まれている。詳細は不明だが、それほど大きくないのでぐるりと徒歩で回っても20分もあれば十分だろう。 「孫太夫山古墳」を一望した後、百舌鳥駅の方にペダルを踏むと仁徳陵の南東角辺り、百舌鳥駅の150メートルほど手前にフェンスに囲まれた塚が見える。規模が小さいので見逃す方も多いかもしれないが、注意深く探せば史跡の石碑も立っているので見逃す事はないだろう。これが「収塚古墳(おさめづかこふん)」である。本来は帆立貝式の前方後円墳であったが、住宅開発のため塚が削り取られ、現在では円墳に近い状態になっている。 角を回り、堀に沿ってペダルを踏むと右側に小高い塚が見えてくる。散策の風が心地よい…。北側は駐車場と接しており、南側は隣接する宗教法人の裏庭のように見えるが、れっきとした円墳の「塚廻古墳」(つかまわりこふん)である。立ち入りが厳しく制限されている古墳が多い中、墳丘の頂上まで上ることができる。そのためか、近隣の庭として菜園や草花が植えられ可憐な花を咲かせていることもある。多分、昔はこのような風景が、どの古墳でも見られたことだろう…。墳丘の南東斜面には石碑が建てられている。墳丘に上れるが、国民の大切な財産でもある。決して弁当を広げたり、ペットボトルや空き缶等を「捨てず!」、「荒さず!」のご配慮をお願いしたい。 更にペダルを踏み進めよう。 仁徳陵の北東角近く右側に「源右衛門山古墳」(げんえもんやまこふん)がある。住宅街の中にあり、発掘調査はされたものの、堀の一部と埴輪が発見されたのみで、内部の構造や埋葬品についての詳しいことは判明していない。 「源右衛門山古墳」付近から先は国道310号線が沿うように走る。前方すぐ左側、仁徳陵内の内堀沿いに「大安寺山古墳」(だいあんじやまこふん=円墳)、更に北側角付近に「茶山古墳」(ちゃやまこふん=円墳)があるが、陵内のため近寄り詳細を確認することはできない。 310号線と大阪中央環状線との合流付近の陸橋を渡り、ちょっと寄り道をしてみよう。 陸橋の上から左手前方に塚らしい植え込みが確認できる。 これが、「永山古墳」(ながやまこふん=前方後円墳)である。現在は仁徳陵の陪塚として宮内庁が管理しているが、形態や規模等をみても陪塚ではないという意見も多く確認は取れていない。濠の一部では釣堀が営業されているが、私が幼少の頃父親に連れて行ってもらった記憶があるから、かなり以前から営業されていたと思われる。 その左側奥のビルの向こう側に見えるのが「丸保山古墳」(まるほやまこふん=前方後円墳)である。 丸保山古墳は後ほど訪れるとして、先を急ごう。 北側を通る南海高野線を超え、直進すると広い通りの「堺-大和高田線」(通称=やまたかせん)に出る。その「堺-大和高田線」を
これが百舌鳥古墳群の中で最も北に位置し、7番目に大きな前方後円墳で、田出井山古墳(たでいやまこふん)とも呼ばれている「反正陵古墳」(はんぜいりょうこふん)である。「百舌鳥耳原山陵の北陵(もずみみはらさんりょうきたのみささぎ)」とも呼ばれている。 かつては二重濠であったが、幅約11.5メートル、深さ約80センチであったといわれる外濠は、住宅地の下でひっそりと眠り、現在見ることは出来ない。 東側には、培塚と思しき「天王古墳」(てんのうこふん)と北三国ヶ丘遺跡・「鈴山古墳」(すずやまこふん)=いずれも方墳=の2基の小さな古墳があるが、詳細は不明であるが、これもまた、趣のあるコースだろう。。 反正陵の西側は、南海高野線の「堺東駅」に近く、方違神社の境内で一服を取り、ここからのスタートなら百舌鳥古墳群を北から南へと縦に下っていく事となる。ちなみに方違神社の由来は、摂津住吉郡、河内丹治比郡、和泉大鳥郡の三国の境界(このことから地名が堺となった)となることから、この地を「三国山」もしくは「三国丘」と呼び、何処の国にも属さず方位の無い清地として悪い方位を祓うと崇められ、方災除の神として全国より参詣者が訪れている。 ここまで来れば、堺東駅前にある「堺市役所別館高層棟」の展望台に登ってみるのもよい。21階展望ロビー(51.2メート)からの大パノラマが望め、喫茶軽食コーナーもある。 方違神社や展望ロビーで休息をとったら、いよいよ、本日後半の散策に出かけよう。 反正陵古墳を後に、先ほど来た散策路を逆戻り。国道310号線と大阪中央環状線の交差点の陸橋を渡り、再び仁徳陵の堀沿いの遊歩道を西へ…。少し歩くとこんもりと樹木が茂った塚らしきものが見える。 ここには「丸保山古墳」と「菰山古墳」(こもやまこふん=前方後円墳)の2基の古墳が現在する。
仁徳陵の培塚と考えられているが、結論までには至っていない。また、主体部の構造や副葬品、葺石等の詳細も不明である。 現在、後円部は宮内庁が、前方部と濠は堺市が管理している。先で案内した「永山古墳」とこの「丸保山古墳、菰山古墳」は、共に周囲を一周できる。「丸保山古墳、菰山古墳」を巡ると仁徳陵への散策路に合流する。この合流地点は、本来、濠の水位調節のための堰が設けられ3本の方水路に放流されていたが、残っているのは1本のみだ。しかし、水量は減ったものの現在は整備され、趣のある風景を醸し出ししている。この坂道は「霜降り坂」と名づけられ、住民の散歩道としても多くの人々に利用されている。 再び仁徳陵の散策路に戻ってきたが、巡ってきた散策路とは何となく雰囲気が違った感想を持つ人も多い。この辺りの散策路は「自然の中の遊歩道」という感じだ。 右手、濠の中に丸い塚のようなものが目に付く「樋の谷古墳」(ひのたにこふん=円墳)である。この「樋の谷古墳」も仁徳陵の培塚とされている。仁徳陵には日本最大の古墳にふさわしく、「樋の谷古墳」をはじめ「茶山古墳」・「大安寺山古墳」・「源右衛門山古墳」・「狐山古墳」・「銅亀山古墳」・「塚廻古墳」・「収塚古墳」等、10基以上の培塚があるとされているが、殆んど調査されておらず詳細は不明となっている。また、この辺りには石碑や由来板等も建てられているので、是非とも目を通していただきたい。 大阪府立大学の大仙キャンバスを通り過ぎた右側に丸い塚が確認できる。「銅亀山古墳」(どうがめやまこふん=方墳)だ。 石の名碑はあるものの、詳細は確認されておらず濠は無く、柵で囲まれているのみで散策道から傍まで近寄って観察できる。 そろそろ日が暮れてきた。直ぐ目の前が仁徳陵の南西角にあたり、南海バスの大仙町バス停がある。 お世話になったレンタサイクルの返却時間は、午後の4時30分まで。レンタサイクルを返却し次回の散策に思いを馳せながら、バスで「堺駅」もしくは「堺東駅」まで戻ろう。 |
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2日目は、大仙公園を通り抜けて「履中陵古墳」(りちゅうりょうこふん)周辺まで散策してみよう。
1日目と同様、レンタサイクルを借り「拝所前」からスタートしよう。 まず今回は、一旦前回と反対方向(西側)へペダルを漕ぎ出そう。 「大仙町」バス停の前辺りにこんもりとした円形の塚が見える。
これが今回最初に訪ねる円墳の「狐山古墳」(きつねやまこふん)だ。公園内に簡単な柵だけで区切られバス通りからも十分確認できる。 基本的には、仁徳陵の陪塚と考えられているが、この古墳も残念ながら詳細な調査はされていない。 百舌鳥古墳群には大小50基近い古墳があるが、調査された古墳の数は圧倒的に少ない。先述した通り、宮内庁が管理するものについては、調査等に於いても、立ち入りが禁止されているため基本的には調査ができない…というのが理由の一つだ。では、宮内庁管理以外の古墳はどうだろう…? このことについては、既に調査された古墳について見てみる事が良さそうだ。 調査が敢行され、「履中陵」の南側に百舌鳥古墳群の中でも5番目の大きさと言われる上野芝町にある「大塚山古墳」(既に消滅)の場合、昭和25年(1950年)に調査が行われている。その発端となったのは、昭和20年代に宅地開拓が本格化し、後円部の中心部を始め、大部分が消滅が深刻化したためだ。復旧は不可能と判断され、消滅前に記録として残すために調査が敢行された。その調査で、多くの出土品が発掘された。調査は昭和60年(1985年)にも実施され、その時には周濠の規模や墳丘構造等が明らかになったが、その後完全に消滅してしまった。「大塚山古墳」は、たまたま私有地であったため、不幸な結果に終わったと言える。では、私有地でない古墳の場合はどうか?基本的には現状維持の考えが強く、地震や洪水等で崩されない限りは、敢えて手を加えて現状を崩さない…。という管理方法が基本となっている。お陰で詳細はまだまだ闇の中で、古代史愛好家にロマンという贈り物を提供しつづけてくれている。 ここでUターンし、再び「拝所前」方向に向かおう。
この古墳も仁徳陵の陪塚とされている。現在はバス通りが通り2つに分断されているが、勿論、当時は仁徳陵に隣接していた。 |
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【最後に…】 我々が取材を敢行したのは晩秋から初冬にかけてであったため、多くの生き物たちに出会う事はなかったが、それでも白サギや青サギ、メジロ、セキレイ等の鳥類や、タヌキをはじめ多種のきのこ、柿などの果実に巡り合えた。春や夏なら、更に多くの動植物や虫たちに出会う事が出来る。 広大なエリアなので、1日ではとても回りきれず、できれば2、3日かけてゆっくり、たっぷりと散策していただきたいものの、残念ながら、当地散策にはお世辞にも宿泊施設が完備されているとはいえない。宿泊は「堺駅」や「堺東駅」近隣に限られてしまうのが現状である。 現在、次の「世界遺産」として登録申請を行っているので、登録が決まれば、宿泊施設も充実してくるものと思われるが、それまでは少し不便ではあるが駅前の施設等をご利用頂き、のんびりと自然を楽しみながら散策するも良し、足早に駆け巡るも良し、古代ロマンの舞台を存分に楽しんでいただきたいと思う。 |
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| 当稿作成に使用させて頂いた参考文献・資料等 堺市教育委員会発行・編集「堺の文化財-百舌古墳群-」2005年3月31日第5版。創元社刊、中井正弘氏著「仁徳陵-この巨大な謎-」1997年4月10日第1版第4刷。堺泉州出版会刊、1998年4月1日発行「堺泉州」4号。社団法人、堺観光コンベンション協会発行パンフレット「堺 百舌鳥古墳群めぐり」。社団法人、堺観光コンベンション協会発行パンフレット「堺観光レンタサイクルMAP」。2006年12月12日「読売新聞」朝刊掲載「東アジアの巨大古墳シンポジウム記事。株式会社 山と渓谷社刊 「ヤマケイポケットガイド(15)きのこ」2005年3月1日初版第10刷。 |
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