緯度経度の(*)印は対象場所(エリア)の中央付近の座標です。無印は周辺再近場所での測位座標です。
6)丸保山古墳 《まるほやまこふん》 所在地:堺区北丸保園
北緯:34°33′50″ 東経:135°29′18″(*)
全体位置図

丸保山古墳は、仁徳陵古墳(大山古墳)の西側に築かれ、前方部を南西に向けた前方後円墳ですが、形そのものは前方部の幅が狭い「帆立貝形」と呼ばれるものです。
墳丘の規模は、全長約87m、後円部径約67m、前方部幅約40mで、前方部は昭和30年(1955年)の開墾時に一部の土砂が削り取られていますが、もともと低く短い形態をしています。

仁徳陵古墳の陪塚とも考えられますが、詳しいことは調査されていません。

周囲には一重の濠が巡らされていますが、規模は小さく、狭く浅い濠となっています。
水量も豊富ではなく、やや大き目の水溜り程度と言ったところです。

後円部は宮内庁。前方部および濠は堺市の管理となっています。

昭和47年(1972年) 7月25日 国の史跡に指定されました。

永山古墳と同じく、周辺の道路から
見学することが可能
古墳内に実った柿の実を、
メジロの群れがついばんでいました
前方部分は開墾時に削り取られているが、
もともと低く狭い形状をしていたと考えられている。
前後円部周辺の濠の様子。
濠は狭く浅く、水量も豊富ではない。
丸保山古墳の前方部を仁徳陵古墳の方向(東)に回りしばらく歩くと、仁徳陵古墳の濠の水を灌漑用水として
利用したり、許容量以上の水が溜まった場合の排水用に用いられた水路の一部が整備保存され、
地域の人たちや隣接する大学の学生たちの散歩道、憩いの場、ジョギングコース等として利用されています。
もともと水路は3本あったと言われていますが、現在保存されているのはその内の1本だけです。